書き写しは自由に描くこととはまったく違う力
自由に描くことは、子どもが頭に浮かんだことをそのまま紙に描かせる。間違った答えはない。しかし、まさにその理由で、ある種の力はこれでは育たない。子どもは2年間ずっと同じ歪んだ太陽と棒人間の家族を描き続けても、自分の頭の外にある何かをじっくり見る必要が一度もないことがある。
絵を書き写すことはその逆だ。すでに存在する特定の形を見て、それを部分に分け、その部分をある程度正確に再現しなければならない。これは創造的な表現というより、地図を読んだり、説明書を見て家具を組み立てたりすることに近い視空間能力だ。
だから、自由に描くと堂々とした凝ったドラゴンを描く子どもが、三角形が四角形の上に乗っただけの単純な絵を書き写すよう言われた途端、急に黙り込んでためらうことがある。二つの課題は脳の違う部分を使うので、片方が得意でももう片方が得意とはほとんど言えない。これは初めて目にした親の多くを驚かせる。
紙の上の間違いは実際にこう現れる
典型的な例はこうだ。元の絵では屋根が壁のすぐ上にぴったりついているのに、子どもの絵では屋根と壁の間に白い隙間ができて、屋根が宙に浮いてしまう。窓は下すぎる位置に集まったり、互いに近すぎたり、片隅にだけ詰め込まれて残りの壁が空っぽだったりする。四本足の動物を描かせると、片側に三本、反対側に一本という配置になる。
これは不注意ではない。幼い子どもは目の前の実際の線ではなく、「家」や「犬」について頭の中に保存された記号を見て描くからこうなる。脳が実際の入力を保存済みのテンプレートに置き換えてしまうと、目はもう確認しなくなる。大人がよく知っている単語を、スペルが間違っていても正しく読んでしまうのと同じ仕組みだ。
線を二度も三度も重ねて描くのもよくある。これは微細運動の問題というより自信の問題に近い。鉛筆はすでに動いているのに、線がどこに向かうべきかはまだ決まっていないのだ。
マス目が書き写しをずっとやさしくする理由
絵全体を一度に書き写そうとすると、幼い子どもの視覚的な追跡能力には負担が大きすぎる。目が元の絵と紙の間を行き来する間に頭に保っておくべきことが多すぎるのだ。元の絵を3×3や4×4のマス目に分け、対応する空のマス目に一マスずつ写していけば、同じ絵が一つの大きな課題ではなく、九個、十六個の小さな気にならない課題に変わる。
これはプロの画家やイラストレーターが参考画像を正確に拡大したり模写したりするときに実際に使う方法だ。5歳や6歳でこれを教えるのは小手先の技ではない。「分けたらたまたまやさしく感じた」ではなく、本物の技法を子どもの手に渡すことになる。
代わりに描いてあげずに助ける方法
子どもが一マスで詰まると、代わりに線を引いてあげたくなったり、手を取って導きたくなったりする。それをこらえよう。代わりにこう聞いてみる。「このマスの中だけ見ると、どんな形が見える?」「線はマスのどの端に触れてる?」この二つの質問だけで、親がすべきことはほぼ済む。見て判断する役目を、また子ども自身の手に戻せるからだ。
マス目を煩わしい、あるいは幼稚だと感じる子ども(だいたい7歳や8歳頃)には、マス目自体を外してしまってもいい。「見る、目を離す、描く」という方法がその年齢にはちょうどいい。絵の一部分を数秒間じっと見て、目を離し、記憶を頼りに描き、元の絵と見比べる。補助なしで同じ力を鍛えられ、実際にこちらを好む子どもも少なくない。
避けたいことが一つある。合わないマスを消してやり直させることだ。これは「間違いは消す」ことしか教えず、「もっとよく見る」ことは教えない。合わない部分を軽く丸で囲んで何が違うか尋ね、直すかどうかは子ども自身に決めさせるほうがいい。
難易度は急がずに上げる
4歳や5歳頃は、内側の線が少ないシンプルで対称的な形(家、星、単純な船)から始めよう。非対称な絵や、顔や質感のある動物のように内側のディテールが多い絵は、基本的なマス目書き写しが苦にならず自然にできるようになる6歳以降にとっておくといい。
多くの親が見落としている、もう一つの難易度調整法がある。より難しい絵を選ぶ代わりに、マス目を小さくすることだ。マスが増えて小さくなると、子どもが粗いマス目ではもう楽々こなせる絵でも、はるかに精密な視覚追跡が求められるようになる。3×3のマス目で家をすいすい描ける6歳児も、同じ家を6×6のマス目で描かせれば本当の意味で挑戦になる。
この力は何年か後、どこに現れるか
このマスごとに比べる習慣は、後に中学の理科の授業で図を正確に写し取るとき、裁縫の型紙に沿うとき、地図を読むとき、さらには縦列駐車をするときにも再び現れる。どれも全体の絵を部分に分け、頭の中の近道ではなく現実と照らし合わせて確認する力が報われる場面だ。
ここでは結果よりも過程を褒めよう。「描く前に、あの角を本当によく見てたね」という言葉は、たとえ「元の絵と本当にそっくりだね」も事実であったとしても、その力を育てるうえではより大きな意味を持つ。